2011年9月22日木曜日

第6回 ユートピア論とモダニズム

久しぶりの更新になります。
今回はユートピア論とモダニズムに関しての個人的偏見も含んだ解説です。

まず「ユートピア」とは

理想郷、理想国家

という意味があります。このユートピア、人類の理想の環境を作り出し、普遍的かつ永久的に幸福を追求できるものとして言われることが多いと思います。しかし面白いことにこの永久的を目的としたものは必ず滅びるということが言われています。つまり事実上のまやかしに過ぎないのです。

ではそれはなぜか。理想郷を考えるとその時代の理想が反映されます。それは何世紀もまたがることで当時では考えられなかったような技術や文化がその間に生まれてきて、理想が理想で亡くなってくることが一つとしてあげられるでしょう。たとえば馬か徒歩しか移動手段のない時代に東京から大阪までを1日で行くことは夢のようなことであったでしょう。しかし今現在ではどうでしょう。東京大阪間を一日かけていくことはかなり大変です。新幹線や車で行けば一日で往復することも可能な状況で、20時間もかけて移動するのが理想でしょうか?

今現在の究極の理想移動手段はワープといった瞬時に移動することなのかもしれませんが、もし将来過去に戻ることのできるような技術が出てきたらどうでしょう?移動することが時間を逆行できるとしたらさらに理想がかわりますよね。

つまり今ある技術で考えている理想はいずれ理想ではなくなります。人類の繁栄という目的を考えると理想郷では繁栄、発展をしてしまうとその場所は理想ではなくなるといえるのではないでしょうか。


この考えに非常に近い美術や建築の考えが「モダニズム」ではないかと考えられます。モダニズムとは絵画、彫刻、建築、デザインさまざまな分野に扱われる言葉ですが、どの分野においても永久性、理想といったものを前提に考えられているといえるでしょう。たとえばモダニズム建築においてはその建築のプログラムが半永久的に持続すること、または永久的に変化して対応できる(というような感じ)で設計されています。逆に言えばそれが使われなくなって廃墟になってしまった時のことなどはあまり考えられていないでしょう。絵画、彫刻においてもモダニズムの流れでは永続性という言葉がキーワードになってきます。モダニズムの作品には鑑賞者がいらないというような言われ方を時々しますが、それはモダニズム以降のミニマリズムとの対比として言われているものではないかと考えられます。ミニマリズムの開設は以前行いましたが、ミニマルな作品(ただの箱とか)は鑑賞者が「これはどこが作品なのか?」ということを考えなければただの箱になってしまい、鑑賞者が鑑賞者としての気構えがあって初めて成立するものといえるでしょう。このミニマリズムはポストモダニズムの流れに含まれます。つまりモダニズムとは違う考えです。
このミニマリズムを考えると作品が単体で成立するという意味が分かるかもしれません。ミニマリズムは作家自身が自分の恣意的な要素(自分はこれがかっこいいと思うとか、感覚的な操作)を限りなく排除しているため、自分が作品を見に来ているという気構えをもった鑑賞者がいなければ成立しないのに対して、モダニズムはむしろかなり作家の恣意的な要素が含まれていると考えられます。明らかに人間の操作によって出来上がった形はたとえ途中に鑑賞者がいなくなっても自身の表現した形は残ります。実際のところ形あるものはいずれ崩れるというように形ということが既に永続性を持ち合わせていないとも言えるでしょう。


今回の結論としては
モダニズムの思想とユートピアは「永続性」という部分を望んでいるという点でつながっているのではないかということでした。

長らく間を空けましたが、また時々更新していきますね。