2011年11月15日火曜日

第9回 インスタレーション・アート

さて第9回の更新。今回はインスタレーション・アートについてです。

この内容も自身の論文とかぶってきていますが、それとは違った解説をしていこうかと思っています。
さて、インスタレーション・アート。よくインスタレーション、インスタと略されています。以前建設会社で働いていたとき、「エレベーター前のインスタレーション君に任せるよ!材料はもう置いてあるから」と言われてウキウキしながら行ったら写真パネルが3,4枚置いてあり、配置をうまくレイアウトするだけのまさに「設置」作業で残念だったことがあります。

インスタレーションとはもともと「仮設、設置」といった意味であり、今現在芸術業界で使われている「インスタレーション」とはだいぶ意味が変わってきてしまっていると思います。

さてそれでは芸術に置けるインスタレーション・アート(以後インスタレーション)とはどのようなものを指すのでしょうか?先日インスタレーション作品が展示してある場所におばあさんが来ていたとき、係の人が「これはインスタレーション作品ですのでどうぞ中に入ってご覧ください」と言われた際、私に「インスタレーションってどういう意味ですか?」と聞かれたことがあった。
そのときに答えたことは

「絵画、彫刻だと作品を見て鑑賞するものですが、インスタレーションといった場合作品のなかに入ったり、もともとある空間とか鑑賞者とかも含めて作品とするものなんですよ」

と言うのが精一杯だった。

まぁあながち自分で言ったことは、そこまで間違っていないとは思う。

インスタレーションとは実のところ起源となるような出来事、評論が分かっていない。いくつかの海外の文献も調べてみたが

「インスタレーションは様々な派生から出来上がった分野のため、この本では起源を示すのではなく、現在のようなインスタレーションアートが形成されるまでの流れの一つを紹介する」(本当に某英語のオールオブインスタレーションとか謳っている本の序章にこのような文章が書かれていました)



「インスタレーションアートはそのほかのどれにも分類できない空間型アートであり、それは遡るとゴシック建築などのステンドグラスまで含んでいると言ってよい」

など正直無茶苦茶である。

ということでここでは私自身の独断解釈でインスタレーションを解説していこうと思う。

まずちまたではインスタレーションというと「あーあのよくわからないごちゃごちゃしたやつね」とか言われ重く扱ってもらえないことが多い。まぁたしかにそういうインスタレーションが多いのも事実です。実際割とテキトーに並べてそれっぽくしたものをインスタレーションとして提示している人を見たこともあります。

要は「逃げ」としてインスタレーションと言えてしまう恐ろしさがあるのです。(私はインスタレーション作家として誇りをもってやっているので堂々とインスタレーション作品ですと言います)
しかし最近ではその「逃げ」が余りにも氾濫したため、先程のように「あ~、インスタかぁ」と見下されてしまうようなことまで置き始めています。
つまり可能であるならばこれは「彫刻」「絵画」「建築」というようにはっきりとしたものに寄ったほうがもしかしたらしっかりと見てもらえる可能性はあります。

さて、ではインスタレーションとしてでしか成り立たないものとはどのような作品があるのでしょうか。
例えば立体にプロジェクターで映像を投影したとします。映像を作品とするならばスクリーンに投影すれば良く、立体を見せたいのであれば映像は要りません。ではこの場合の作品性はどこにあるのか。一概には言えないかもしれませんが、「映像が映っている立体」とそれを見ている「鑑賞者を含んだ空間」となるのではないでしょうか。つまりこの作品は「立体」と「映像」の二つしか一見素材としては使っていなくても、作品性は「立体」でもなく「映像」でもないその「映像が映った立体」がある「空間」ということになると思います。

難しいですね。私自身の作品で言いますと、終了制作で作った巨大なリングがあります。あれは木材で作っていますが、あれは木彫ではありません。ちなみにリングが作品として見せたいのであれば建物に絡ませる必要もないのです。という意味では作ったものはリングだけなのにもかかわらず、その周りの建物を含めた「空間」もを作品として取り込むことに意味があるのです。そこがまずひとつのインスタレーションの条件なのではないかと思います。

すなわち

作家が「作ったモノ」とそれ以外の要素である「空間(環境)」をも取り込んでしまう作品。
という意味です。





それ以外にインスタレーションの要素として挙げられるのが仮設ということです。基本的にインスタレーションは期間が終了すると解体してしまいます。先程のインスタレーションの条件を踏まえると、同じようなものを別の場所でやると取り込む空間が変わってくるため別のものとなってしまうはずです。(よほど似たような環境で設置し直せば別ですが)
期間が限定されているとどうなるか・・・・そこは現在博士論文に書いていますので、今はあまりかけません(乞うご期待!)
しかし話は振ってしまったので少しだけ。期間が限定されると最終的に解体したときには展示前の状況に戻っているはずです。しかしインスタレーションは作品そのもの以外の部分も巻き込んで作品としていると先ほど書いたように、もともとあった空間、環境は一度作品として成り立っていたのです。現状復帰をすると作品と言われる「モノ」はなくなりますが環境、空間はなくなるわけではないのです。つまりその空間、環境に対する見え方、捉え方というものが少なからず変化していると思います。その空間に対する見え方に限らずとも、似たような空間やモノが身の回りにあったとき、そのモノや空間は違ったように見えていると思います。

逆に言えば違ったように見えなければインスタレーションとしての作品は限りなく無意味に近づいてしまう危険性もふくんでいるのです。

そのうちインスタレーション作品の解説もしていこうかと思いますので、今回は

インスタレーション・アート=期間限定で、作品そのものだけでなく、それ以外の要素も巻き込んで作品としているもの

という視点を持ちながら作品鑑賞してもらうと少し面白いかもしれません。

それではまた次回!