2014年4月9日水曜日

第10回 スナフキンと現象学と闇夜のカラス

えーしばらく間があきましたがついにブログ更新2ケタ突入!なんと第10回目です。
今回はいつもとは趣向を変えて、ムーミンにでてくる「スナフキン」というキャラクターをもとに現象学をあてはめて考えていきたいと思います。

ただ今回はかなり独自の解釈が入っていますのであしからず。

スナフキンとはまずムーミンに登場する旅するキャラクターであり、寡黙で、孤独と自由を愛するという設定である。彼は基本的に冬になる前に旅立ち、春が訪れるとともにムーミン谷にくるらしい。そして、毎回同じ服装で基本的に着飾らない。
彼は形あるものはいつか崩れなくなってしまうことを嫌い、なるべくものを持たないようにしているのである。自分の定住する家を持ってしまうとそこに愛着が生まれる、しかしそこを出なければいけない日がいつか訪れた時のものとの別れを嫌うのである。原作にあまり詳しくないのだが、スナフキンが来ている服は生まれた時から同じ服を直しなおし使っているという話もある。
彼のその考えが非常に現象学的であり、面白いと思う。
今回扱う現象学はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』に書かれている内容として話を進めていく。
まず知覚というものは人間がいることで起きることである。もっともわかりやすい例としてポンティが挙げているのが「図」と「地」の関係性から、「白紙に描かれた黒い点」がある。黒い点は背景が存在することで、黒い点として認識される。しかもその点が知覚されるとき、背景である「地」の役割が非常に大きくなる。

とても小さな紙にある黒い点と逆に大きな紙にある点とでは同じ大きさの黒い点であっても違って見えてくる。さらに紙の中央にあるのか端にあるのかでも大きく変わってくる。
数値の上では直径5㎝の黒い点でしかなくても、周りの状況により、人はその黒い点の大きさを違ったように見てしまうのである。

またそれは音符や色にも言えることがある。一音ではただの音であるが、そこからまた違う音が続くことによってメロディができあがってくる。その際周りの音がほとんどが低ければ、その一音は高い音として認識されるが、逆に周りが高い音だと低い音として認識されるだろう。
色の場合はカラーチャートで同じ色であっても一枚の絵画全体が暗い色を使っていた時に明るく感じた部分でも、周りが明るい色であれば暗くなるといった具合である。

この現象は良く錯視の図なので見ることができるであろう。AとBは同じ色にもかかわらずBの方が暗く見えるといったものである。

『知覚の現象学』の中では、数値で表した世界を「客観的世界」としてよんでいる。それはつまり長さが何cmであるとか、ラの音で周波数がいくつの音であるというように、周りに関係なく数値化されたものである。そして現実世界においては、この「客観的世界」よりも感覚の方が人間には優先されると言う事も述べられている(感覚的世界)。

すなわち!人間はいくら数値で同じと言われていても、音を聞けば周りの状況から高い音と認識したり、大きな円であると判断したりすることの方に優先的であり、数値的情報(客観的世界の情報)よりも影響があるのである。

さて、そこからさらに派生してゆくと、この感覚的世界とは人の経験によってできあがってくることが言える。つまり様々な経験を多く積んだ人ほどより客観的世界としての見方ができると同時に、その人独自の感覚的世界を構築しているのである。わかりやすく言い換えると、まだ幼い子供はロウソクの炎が熱いという事を知らないため、手や顔を近づけてしまう。そこで一度でも火傷を負うと、次からは「赤くて明るいもの」=「熱い」として見ただけで認識する。鋭利な刃物も怪我をした後であれば似たようなものを見ても「痛そう」と視覚情報だけで別の感覚器官(聴覚、味覚、触覚、嗅覚)に影響がでるのである。それを感覚の共存または共感覚として述べられる。

だいぶ話が難しくなったところでスナフキンの話に戻ろうと思う。
スナフキンの服が生まれた時から同じという逸話(本当かは知りませんが)も客観的世界から見てしまえばただの布であり、それ以上のものでもない。しかし彼の考えの中にあるように新しいものを使えば古いものをいつかは捨てたり、壊したりしなければならず、それは彼の中で構築された感覚的世界の一部を捨てていくことである。
ある意味ものすごく保守的な考えでスナフキンは生きているようにも思えるが、おそらく彼はとても様々なものに愛着を抱いてしまう性格なのであろう。勝手な解釈ではあるが、スナフキンは幼少期に家族と何かしらの理由で別れてしまい、唯一の形見のようなものが今現在来ている服であると私は推察する。それもあり、絶えず孤独を好むというよりは実は愛着がわいてしまうと、それを客観的世界として再度とらえることができず、彼自身が非常に苦しむとても繊細な心の持ち主なのであろう。

このような観点からムーミンのスナフキンを解読してみると、とても彼が繊細で心やさしい人であるという事がわかるだろう。

若干無理やり感も否めないが、今回はこのような形で「現象学」とは客観的な数値で表せられる世界観ではなく、スナフキンのようにその対象となっている人物の「経験」によって構築された人独自の世界観を学問としているという形でまとめとしたい。

次回はまた時間ができた時に更新いたします。

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